■■■
■■
■ 好きな事辿り
--------------------------------------------------------------------------------

「子供の頃、好きでたまらなかったことが、結局自分に一番向いているものだったりするものなのです」

という、記述を読んだ。


子供の頃。好きでたまらなかった事、楽しくて時を忘れてしまうほどの事って、何だったろう。
何せ今も子供だから、溯るのが簡単なようで難しい。

好きだった事。
自分の好きなもの(主にプリン)を描く事。
終わり。

幼児の頃を思い出してると、そのくらいしか思い出せない。

いや、まだあった。
新しいあそびを思い付いて、それで皆を楽しませる事。
これは楽しかった。私の新しい遊びにハマらせるのは、楽しかった。今でもこれは楽しい。
というか、人を楽しませるのは楽しいもんだ。なんでか知らんが。
あと、自分で色々作ること。
「わくわくナントカ」とかいうNHKの図工系の番組を見ちゃあ、つまようじで公園の遊具のミニチュアを作ったり、ティッシュの空箱で掃除機のミニチュアとか家のミニチュアとか作って、中で手作り人形で遊ばせた。
疑似教科書や疑似絵本を作るのも楽しかった。「ポプラ社」とか、裏表紙に書いたりしてた。
NHKの宇宙の番組を見るのも何故か好きだった。
一種の「ふしぎなもの」を感じていて、それから目が離せなかったんだと思う。そういえば、小学生の頃は「怖い話」が大好きで、そんな本ばっかり読んだり話したりしていた。研修旅行の時とか、隣で友達が恋愛の話に花を咲かせている間、こっちはこっちで友達集めて寄り集まって、怖い話をしまくっていた・・。・・まぁ、これは子供がよく通る通り道のような好奇心だったのだろう。

音楽の魅力に魅了されたのは、中学に入ってからだった。
選択授業も音楽、クラブも音楽、部活も吹奏楽だった。
音楽に関われる部分は、関われるだけ関わりたかった。
音楽の授業や教科書も、大事な宝物であり、楽しみの一つだった。他の教科書は捨てても、これだけは捨てたくない。
吹奏楽部で楽器を演奏するのが楽しくて堪らなかった。わくわくどきどきしてた。そのために学校に行ってると言っても、過言ではなかった・・・とはあまりに使い古された言葉だが。
その分、転校することで部活が出来なくなるのはショックだった。
新しい生活地では、
文を書きなぐって短編のようなものをよく書いていた気がする。あの時は「何を書くか」というより、「どう描写するか」にとにかく力を入れていた・・・。綺麗だと思うものを綺麗に表現したい一心だった。後になって、「これじゃ意味ねぇじゃねぇか・・」とか思って書かなくなるんだがナ(爆)
描写するだけじゃ何処ぞの耽美小説と同じというか、明らかにそれ以下だ・・。
ちょっと恥ずかしくなったので、それはやめた。

あと、そこはFMのラジオが幸いよく入る処だったので、毎日暇があればずっとお気に入りの局の曲を聴いて、テープに録音しまくっていた。
絵は、お気に入りのもの(プリンが漫画の登場人物に変わっていた)の模写とかを、趣味程度だけど、やっぱり好きだから描いていた。
思えばずっと描いている。描きたい時に描きゃ、あれも楽しいよな・・。特に曲聴きながら描くと・・。

今小学生の妹を見てると、思い出すのだ。
自分が熱中していた事。
そして、改めて見つめ直す。
今、自分が熱中している事。

好きな曲を聴くのが好きだ。
好きな本を読むのが好きだ。
好きな曲を何かで演奏するのが、歌うのが。
好きな文を書くのが、考えるのが。
あとは、好きな声の声マネするのが好きだ(←?)。
ついでに身振り手振り加えてまんま再現するのとか、はっきり云ってカナリ楽しい。それで楽しんで貰えるのが楽しい。
やっぱり、楽しんで貰うのが楽しい。
今は模写とかマネとか引用しか使えないけど、いつか自分のオリジナルの何かで楽しませれるようになりたい。
音楽でも絵でも文でも遊びでも、何でもいい。

それから、もう一つ忘れてはいけない事があった。
随分欲張りだけど、
知りたい事を知るのが好きだ。
判らない未知のものを知るのが好きだ。
図書館行くと、どうしようもなくわくわくしてしまう。
借りるつもりは無かったのに、バッグの中にいつのまにか借りれる冊数限度ギリギリの本が詰まってて、ニコニコしながら家に向かってる。
バッグの中に、知らないけど知りたい事がいっぱい詰まってる事を考えると。

不思議なことに突っ込んでいく事に、
未知が「在る」ことを知る事に、
それが何につながるのかに思いを馳せる事に、
どうしようもなく魅力を感じるのは確かだ。
誰にでもある知識欲かもしれなくても、
私の中でこれは、昔からかなり大きいから、やっぱり。

こうして自分の適性を探っていくと。
探り方が中途半端なせいか、いらん事ばかり書き過ぎたせいか、結局あまり判らなかった。
が、
何も適性が仕事とかと直結していなくてもいいんだろう、という事は判った。
仕事の中でも十分、そういうものは生かせれる気がした。
自分の置かれている環境に関わらず、自分の好きなものは好きなのだ。だって、私が変わるわけではない。
むしろ、様々な環境の中にいても変わらぬものこそ、本当に自分の好きなものとして磨きがかかる事だろう。
好きな事は、どんな環境でもしてしまうし、何にでも生かしてしまうし、忘れないし、何より見つめる先を作る。心の拠り所になる。
そうであれば、自分のしたい筈の事と、今自分のしている事のギャップに戸惑う事も無いだろうと、思う。

何の事はない、自分に一番向いているものは、もうずっと前からちゃんとしてきているんだ。
気付かないなら気付かないで、それこそ良いんじゃなかろうか?
「一部」になって無意識の域に入っているんだ。
それでも探したい時は、
「わくわく」のキーワード片手に過去を溯ってみるといい。
「向いてるもの」は「向きあっていたいもの」だ。
そうすると、きっと見つかるんじゃないかと思う。
本来自分が向き合うべきものが。

ブラウザバックでお戻りください

music by 「遠来未来